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再誕

天国から地獄... そして帰還

翌年はファビオ・カペッロが監督に就任。エメルソン、ファビオ・カンナヴァーロ、スウェーデン人ストライカーのズラタン・イブラヒモヴィッチらが新戦力としてチームに加わりました。ヨーロッパでのパフォーマンスは期待に及ばなかったものの、国内では他チームを圧倒して記録破りの連覇を達成しました。しかし2005/06シーズンの終盤、クラブは通話記録に基づく訴訟に巻き込まれると後に「カルチョ―ポリ」として知られることになるこの事件は大きな変化をもたらし、ジョヴァンニ・コボッリ・ジッリが会長、ジャン=クロード・ブランがCEOに選ばれました。ユヴェントスはセリエB降格と勝ち点9はく奪の処分を受け、直近の2回のスクデットもはく奪されました。ディディエ・デシャンが新監督に就任し、ベルリンでワールドカップを制したばかりだったデル・ピエロ、ブッフォン、カモラネージ、そしてトレゼゲ、ネドベドら中核を成すチャンピオンたちと新たなチャレンジをスタートしました。 2006年12月15日にはアレッシオ・フェッラモスカとリッカルド・ネーリがヴィノーヴォのユヴェントスセンターで命を落とす悲劇的な出来事がありました。クラブが悲しい雰囲気に包まれる中でもチームは翌週にボローニャを下して重要な勝利を挙げ、その後二人の少年たちに捧げるセリエA昇格を成し遂げました。デル・ピエロはセリエB得点王になるとともに、クラブ史上最多得点者の座にも輝きました。

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変革期

クラウディオ・ラニエリに率いられたチームは翌シーズンを3位で終え、チャンピオンズリーグ出場権を獲得。主将デル・ピエロ21得点を挙げて得点王に輝き、トレゼゲが20得点で続きました。2008/2009シーズンは後半の不振に苦しんだ結果、ラニエリに代わってチロ・フェッラーラが監督に就任し最終的にはリーグを2位で終えました。フェッラーラは翌シーズンも続投し、チームにはファビオ・カンナヴァーロが復帰、ファビオ・グロッソとフェリペ・メロ、ジエゴが加わった。10月に退任したジャン=クロード・ブラン会長の役割をジョヴァンニ・ジッリが受け継ぎ、チームは上々のスタートを切りましたが、怪我人の続出によりパフォーマンスが低下。フェッラーラに代わってザッケローニが監督に就任したチームは7位に終わり、ヨーロッパリーグ予選への出場権を得ました。大きなターニングポイントとなったのは2010年5月19日、アンドレア・アニェッリの会長就任でした。ここからユヴェントスの歴史の新たなチャプターが始まります。

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