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成功へのリターン

アンドレア・アニェッリの改革

アンドレア・アニェッリの会長就任と共に、クラブは大きな変化の時を迎えました。首脳陣の顔触れは一新され、ジュゼッペ・マロッタがスポーツ部門の責任者とCEOに就任。過渡期の1年間を経て、ユヴェントスは再びセリエAの中心となる準備を整えました。13年間選手として活躍したアントニオ・コンテが監督に就任し、夏にはリヒトシュタイナー、ヴチニッチ、ビダル、そしてアンドレア・ピルロという重要な戦力を獲得。それでもスクデット最有力と見られていたのはディフェンディングチャンピオンのミランでしたが、4万1000人収容の新スタジアムをホームとしたユヴェントスは、ロッソネリの王座に果敢に挑戦していきました。

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ユヴェントス・スタジアム

コンテはすぐにアグレッシブかつスタイリッシュなチームを構築し、魅力的なサッカーと結果の両立に成功しました。ユヴェントスはリーグを無敗で終えてクラブ史上30回目のスクデットを獲得、このシーズン限りで退団した主将デル・ピエロを最高の形で送り出しました。ピッチ外ではクラブの115年間の栄光に満ちた歴史を後世に伝えるJミュージアムがオープンし、サポーターに過去の勝利を再体験しエキサイティングな未来を想像する場を提供し始めました。またその明るい未来のために、クラブは若き才能のためにヴィノーヴォでスポーツと学業を両立するユース部門の計画を発表しています。

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記録破りのシーズン

コンテ率いるチームはさらにローマでのコッパ・イタリア決勝に進出、しかしナポリに敗れて準優勝に終わりました。しかしそれから2カ月が経たないうちに、スーペルコッパでリベンジに成功。シーズン最初の勝利は2012/13シーズンの連覇への期待を高め、チャンピオンズリーグでの成功を予感させるものでした。実際にビアンコネリは欧州最高峰のクラブと肩を並べてチャンピオンズリーグの準々決勝に進出、3試合を残して2年連続のスクデットを獲得しました。

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マッシミリアーノ・アッレグリ

翌シーズンもラツィオを4-0で下し、6回目のスーペルコッパ優勝とともにスタートを切ったユヴェントスは序盤首位に立ったローマを抜き、記録破りの勝ち点102を獲得してスクデット3連覇を達成。これはクラブ初の5連覇以来のことでした。2014年の夏にはアントニオ・コンテに代わってマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任しましたが、クラブの成功が揺らぐことはありませんでした。リーグだけでなくコッパ・イタリアとチャンピオンズリーグでも好調を維持し、印象的なパフォーマンスで両方の決勝戦に進出。国内カップ戦ではフィオレンティーナを準決勝で下し、決勝戦では延長戦の末にラツィオを破って10回目のタイトルを獲得しました。

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フィナーレ

ヨーロッパの舞台ではボルシア・ドルトムント、モナコ、レアル・マドリードを決勝トーナメントで破りベルリンでの決勝戦に進出したものの最後はバルセロナに敗れました。イタリアでの支配的な立場は変わらず、2位ローマに勝ち点17差をつけて4連覇を達成しました。

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