Boniperti Addio

さようなら、ボニペルティ

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さようなら、ボニペルティ
さようなら、ボニペルティ
さようなら、ボニペルティ

2021年6月18日、92歳のジャンピエロ・ボニペルティがトリノ市内で亡くなりました。

この悲しい日に、私たちは偉大な会長の功績に思いを馳せます。

長年サッカー界のレジェンドであり続けてきた彼は、私たちにとって決して忘れられない存在です。彼の考えはクラブのDNAの一部であり、彼自身が永遠にそのアイデンティティとなっているからです。

偉大なレジェンド

ジャンピエロ・ボニペルティは、ユヴェントスファンに戦争を忘れさせたチャンピオンでした。

1946年の春、18歳のボニペルティは生まれ故郷のバレンゴを離れトリノにやって来ました。彼はサッカー界のパイオニアであり、快活な夢想家でした。

「彼はビアンコネリのカラーに憧れ、ユヴェントスの選手になりたいと思っていた」とビアンコネリマガジンの最初のプロフィールは報じています。少年は約1年後の1947年の3月、ミラン戦でトップチームデビュー。その翌年にはウィーンでのオーストリア戦でイタリア代表デビューし、ワールドクラスの右ウィンガーとしてその才能を示しました。50年代にはユーヴェでも同じポジションで輝きを放ち、当時のチームはボニペルティ、チャールズ、シボリの3人の英雄に牽引されていました。

イングランド代表と世界選抜の伝説的な試合でもゴールを挙げたボニペルティは、1947/48シーズンのセリエAで20歳ながら27ゴールで得点王に輝きました。しかしこの活躍も、白と黒のユニフォームでの5度のスクデットに続く序章でしかありませんでした。

彼は洗練されていると同時に、決定的な違いを作る選手でした。彼はかつて、以下のように語っています。「若かったころは、私にとってはいつもゴールは広くて次々と得点が生まれた。大人になってより完全な選手になると、ゴールは小さくなった。それは私が目にも止まらないパワフルなシュートでゴールを決めたいと思うようになったからだ」

ボニペルティは通算179得点を挙げたイタリア王者として、1961年に現役を引退。33歳の彼は「辞めるよ」と語ったシンプルなセレモニーでピッチに別れを告げました。

欧州王者の会長

1971年7月、ボニペルティのユーヴェでの2つ目の時代が始まりました。選手の次は、会長として。そして彼を頂点としたクラブは欧州、そして世界に知られる名門として成功を収めます。スクデットだけでなく、国際タイトルも獲得。計16個のトロフィーを獲得し、ユーヴェはUEFAの全大会を制した唯一のクラブとなりました。

笑顔を浮かべた賢明な会長のもと、ユーヴェは勝利と同義語となっていきました。退任後も常にクラブに近い存在であり続けてきたボニペルティは、2011年9月8日の新スタジアム開場の際に彼よりも多くの得点を決めた唯一の選手であるデル・ピエロとともにピッチ中央のベンチに腰を下ろしました。

そして彼は、ユヴェントスとの最初の出会いについて語りました。

「私のユヴェントスでの人生は1946年6月4日に始まりました」とボニペルティは言いました。「65年後、私は皆さん全員にハグを送り、『勝利はただ重要なのではなく、重要な唯一のものだ』という言葉を選手たちに伝えにきました」

ユヴェントスの歴史に最も大きく貢献したレジェンドの一人、ジャンピエロ・ボニペルティは白と黒に輝き私たちを見守る新たな星となりました。

ありがとう、そして安らかな眠りを、ジャンピエロ・ボニペルティ。

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